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Happy Mother's Day!(2)完

【ユウタ】 父さんは全然納得してないみたいだけど。でもそのうち気づくと思うよ。だってこういうのって最初はどんなに脳が受けつけなくても、しまいにはからだの方で受け入れちまうような類いの事柄だから。老いるのとおんなじだよ。そしてそのときになってようやく──つまり老いで言えばさ、人間、自分のからだが老いてようやく、老いについての正しい知識に近づけるってもんなんだって。いくら勉強して頭で理解してたとしても、結局、からだがついてこなきゃナンセンスだよ。最後はからだだよ。そいつが根をあげて、いずれは心も持ってかれちゃう。からだが僕らに限界を教えてくれる。そして限界が僕らに、限界の先をこう見遣ることを許してくれるんだよ。たぶん僕がさ、あっち側を予感するのだって要はそういうことで、僕が神様を信じてるのは、自分の愛に限界を感じているからなの。ねえ父さん、これって悪い考えかな? でもきっとこれは父さんだって、七十億いる世界中の誰だっておんなじことでね。おもしろいと思わない? 僕の考えじゃ、たとえ愛で世の中のぜんぶが救えるとしても、人間の愛には限界があって、それだから僕らはみんな、結局は罪を背負わざるを得ないわけ。


 フミヤ、ソファのうしろ、左側に立つ。


【フミヤ】 ……で、ユウタ、話ってなんだよ。

【ユウタ】 ん。なんのこと?

【フミヤ】 ほら、最初に言ってたろ、おまえ、話があるって。

【ユウタ】 ああ。そういえば、そうだったね。うん。そうなんだ。父さん、話があるんだよ。

【フミヤ】 で?

【ユウタ】 もうすぐ手紙が届く。

【フミヤ】 手紙って、誰から?

【ユウタ】 兄さんから。

【フミヤ】 は? リョウヤからって。

【ユウタ】 内容は知らないんだけど。

【フミヤ】 でも、どうして届くんだよ。

【ユウタ】 さあ、どうしてだろ。

【フミヤ】 おまえ、父さんをからかっちゃいないよな? 本気で言ってるのか。

【ユウタ】 うん。本当だよ。どうして僕が嘘をつくの。

【フミヤ】 だから、からかってるんじゃないのか。そうなんだろ?

【ユウタ】 どうして僕が父さんをからかったりするんだろ。ずっと真剣に話してきたのに。どうしてわかってくれないの。

【フミヤ】 でも、なんでそんなこと知ってるの? 仮におまえの言ってることが合ってるとしても、おかしいじゃないか。

【ユウタ】 それは、兄さんが話してくれたからなんだ──ちょうどああなっちゃう前の日にね──来年の母の日に、僕ら宛に手紙を送るって。最近じゃそういうサービスもあるんだって。

【フミヤ】 ふん、そうかよ。母さんには届かないけどな。(一気に酒を飲む)

【ユウタ】 そんなの知ったこっちゃないよ。とにかく兄さんがそう言ったの。でも兄さんのことだから、きっと封筒の表には「Happy Mother’s Day!」なんて文句でも書かれてあるんじゃないの。わかんないけど。

【フミヤ】 訳がわからない。訳がわからないよ、ユウタ。いったいなにがどうなってんだ……

【ユウタ】 なにも難しいことじゃないよ。亡くなった兄さんから母の日を祝う手紙が来るっていう、それだけのことだよ。

【フミヤ】 でも、なあ、待ってくれ。だとしたらおまえなんで今までそんな重要なことを黙ってたんだ。はやく教えてくれりゃ、警察にでも連絡して、その手紙をさっさと読めたじゃないか、なあ。

【ユウタ】 確かに、僕も兄さんが自殺するなんて知らなかったから、当時は面食らったけどさ。でもよくよく考えたら、みんな兄さんの計算に決まってるんだ。だから僕はぜんぶをそっくりそのまま、兄さんの思いどおりにさせてやることにしたんだよ。なにせ死人の意志だからね。尊重しないと。

【フミヤ】 そんなことが……俺には全然信じられない……わからないよ、ユウタ。──おまえ、内容は本当に知らないんだな? まったく検討もつかないのか。

【ユウタ】 うん、どうだろう。たぶん、おおよそ検討はつくんだけど。

【フミヤ】 どんな内容なんだ。

【ユウタ】 というより──どうだろう、あの日のことを思い返すと、なんか変な感じで。ぼんやりしていて、あんまりうまく思い出せない。でも──そう。あの日、兄さんは確かに手紙のことについて言ってた。それもただほのめかすとかじゃなくてさ、はっきり言ってたんだよね。手紙を送るから、おまえはそれを父さんに見せろって。だから兄さんは死んじゃった。

【フミヤ】 どういうことだ。おまえ、言ってることが意味不明じゃないか。なあ、ユウタ、頼むから俺にもわかるように説明してくれよ。頼むからよ。

【ユウタ】 うん。わかった。でもその前にひとつ教えて。

【フミヤ】 ああなんだ。

【ユウタ】 不倫してたの。

【フミヤ】 俺が?

【ユウタ】 そう。

【フミヤ】 なに言ってるんだ。そんなわけないだろ。

【ユウタ】 本当? 今の父さんは本当のことを言ってるの? それとも嘘を、自分の息子に言い聞かせてるの?

【フミヤ】 本当だよ。父さんには母さんしかいなかった。

【ユウタ】 へえ。母さんには誰もいなかったようだけど。

【フミヤ】 おまえになにがわかるってんだ。誰がそんなことを……

【ユウタ】 母さんに申し訳ないと思ってないの?

【フミヤ】 思わないよ、そりゃ。だって、不倫なんざしちゃいないんだから。

【ユウタ】 まあ、いいよ、父さん。僕は信じるよ。でも母さんは信じないだろうけどね。

【フミヤ】 母さんが父さんのことを疑ってたってのか。

【ユウタ】 ん。てかどっちかっていうと、兄さんの口ぶりは母さんから聞いたってよりむしろ直接知ってるって感じだったんだよね。あ。これも兄さんから教えてもらったことなんだけど。

【フミヤ】 またリョウヤか!


 フミヤ、飲み干したグラスを奥に放り投げ、ユウタの背後を横切り、上手側に移る。グラスは粉砕する。


【フミヤ】 なに……あいつの話なんて信じるにゃ足らんさ。帰ってきた途端、饒舌になったんだか知らんけどよ。精神を病んでたんだろ……それに第一、いったいこの話が手紙の内容となんの関係があんだ? なんたってまた母さんが出てくるんだ? おまえだって、昨日までは「かあさん」の「か」の字も出てこなかったくせに、今日になってどうしてこうも母さんだ兄さんだって騒ぎ出すんだ……あいつがどんなに突拍子もないことを考えていたにせよ、どれもこれもキチガイじみた空想の産物に決まってらあ。あいつがいなくなっても、おまえにまでそんなもんに付き合われちゃ、父さんの方だってやりきれねえじゃねえか。

【ユウタ】 兄さんが自分の首を刺しちゃう前の日の夜、兄さん、母さんをトラックとの衝突から救ったのと同じ腕が、今度は自分の背中を押すんだって言ってたんだ。母さんを殺したのと同じ腕が、ナイフを手にしてやって来るんだって──そういえばあの日ってまあ静かだったよね。車の通り過ぎる音も聞こえなかったし。月も出てなかったんじゃないかな? 曇ってたんだっけ。

【フミヤ】 おまえはさっきからなにを言ってるんだ? 自分の言ってることをちゃんと理解してるのか? 母さんは交通事故で死んだんだ。それも自分が車を運転してるときに。おまえだってさっき、母さんはその腕とやらに助けられたって言ってたじゃねえか。母さんは、それからずっとあとになって、また別な日に、事故に遭っちまったんだけなんだ。ふたつは別の出来事だろ。混同すんなよ。

【ユウタ】 僕はなにも混同なんかしてないよ──そう。一度は助けられたんだ。兄さんがいたからね。でも二度目は、もう助かるはずがなかったんだよ。

【フミヤ】 あれは事故だったんだ。ただの不幸な、どうしようもない災難だったんだよ。

【ユウタ】 あれは事故なんかじゃなかったんだ。母さんは自分でハンドルを切って、死を選んだんだ。

【フミヤ】 つまりおまえは、俺の不倫のせいで母さんが自殺したって言いたいわけだろ? ふん、とんでもない野郎だな、おまえも。でも仮に母さんが本気でそんな被害妄想を抱いてたとしても、それで自殺っていう帰結は、少々突飛が過ぎるよ。子供だってふたりいるってのに、不倫のひとつやふたつで、どうしてそんな無責任な行為ができるってんだ。不倫ごときで死なれちゃ、今頃日本は壊滅してるだろうよ。

【ユウタ】 不倫だけが原因ってことはないだろうけど、そのひとつではあっただろうね。

【フミヤ】 ふん、まあいいよ……でも、このアホみたいな考えをおまえに吹き込んだのは、リョウヤなんだろ? おまえは本気にしてるみたいだけど、要はあいつのつくり話に過ぎない……ふん、でも、わからないな。どうして俺のことをそんなにひどく言ったんだか。俺のことを憎んでたのか──だってそうだろ? 憎いとでも思ってなきゃ、おかしいよ、こんなん。

【ユウタ】 兄さんは父さんのことをなにひとつ悪く言ったりはしちゃいなかったよ。

【フミヤ】 いや、こんなに的外れな批判をされちゃ同じだ。端から非難の眼差しで以て、俺という人間を眺めてるようなやつでなきゃ、考えつかない解釈だ。

【ユウタ】 兄さんは父さんを恨んじゃいなかったって。むしろ大切に育ててもらって感謝してたくらい。ただ兄さんは、父さんよりも母さんを愛してただけなの。

【フミヤ】 どうして俺に、ユウタ、おまえの言葉を信じることができるんだろう。証拠さえありゃいいのに……証拠さえ。でもおまえは話すだけで、それ以上のことをしちゃくれないんだ。

【ユウタ】 証拠になるかどうかはわからないけど、きっと手紙が教えてくれるよ。

【フミヤ】 じゃとっととその手紙とやらを見せてもらいたいんだけどな、是非とも! そいつに目を通しさえすれば、間違いない。一切合切が根も葉もない悪ふざけに過ぎないってことが、すぐに判明するはずなんだ……

【ユウタ】 でも父さんはやっぱり読まない方がいい。読んだら大変なことになる。

【フミヤ】 なんだ? おまえ、言ってて自分でも怖じ気づいちまったのか。ふん、所詮はガキのざれ言。真面目に聞く価値もありゃしねえ。

【ユウタ】 母さんが死んだ日のこと覚えてる? というかそもそも、あの当時のこと覚えてる? 僕が何歳で、兄さんが何歳だったか。父さん、わかる?

【フミヤ】 ふん、そんくらい。わかるよ、もちろん、ちょっと計算すりゃ……なに、簡単な算数の問題さ。小学生が解くような……あれだ、リョウヤは十二歳で、おまえは八つだった……

【ユウタ】 違うよ。兄さんは十三歳で、僕は九つだったんだ。

【フミヤ】 ふん、たった一年しか違わないじゃないか。誤差だよ誤差。

【ユウタ】 いや。父さんは間違えたんだよ。母さんの死の原因についてもね。あの日、母さん一旦帰ってきたでしょ? 僕と兄さんと一緒に買い物に行ったとき。そしてそのあとで、買い忘れがあるって言って、ひとりで車を走らせてって、それで死んだんだ。ってことはね、母さんは最初、兄さんと一緒に心中するつもりだったんだよ。兄さんと、僕と一緒にさ。たぶん、ずっと前から考えてたんだと思う。でもすんでのところで、ためらっちゃった。僕らはそのまんま帰された。だから本当は、僕らの命はあの日で終わるはずだったんだけど、僕と兄さんは結局母さんに生かされたわけなんだ。だから僕らの命は、母さんによって二度与えられたことになる。ぜんぶ兄さんがいなくなっちゃう前の夜に教えてくれたことなんだけど。

【フミヤ】 なにもかも嘘だ。なにもかも……俺が母さんのことを理解しちゃいなかったとでも? 俺が母さんのことを気にかけちゃいなかったとでも? おまえの目には、俺がそんなふうに映っていたのか? なあ、ユウタ、おまえは熱に浮かされてるだけなんじゃないのか? ありもしなかった兄との会話をでっちあげて、世界中でたったひとりそいつを信じて、口の動くままにたわ言を並べてる──それが本当のところなんじゃないのか。

【ユウタ】 父さんも手紙を見れば、すっかり考えが変わるに違いないんだ。

【フミヤ】 わかったぞ。そうだ。その手紙とやらも、ぜんぶ嘘なんだ。そんなものはないんだ。手紙もなければ、リョウヤのそら言もひとつとしてなくて、あの天使の腕とかっていう話も、今おまえがここで考え出した、気まぐれの産物にほかならないんだ。はったりなんだろ。なにもかも。でなきゃどうやって、これまでの支離滅裂な話の一切を説明できるってんだ。それにほら、いつまで経っても、おまえはさっきから証拠だ証拠だってほざいてる手紙を寄越して見せちゃくれないじゃねえか。つまりないんだよ、そんなものは。初めからよ。

【ユウタ】 確かに、僕がさっき起きて確認したときには、まだ手紙は来てなかったんだ。でも父さん、外を見てみてよ。暗くなってるでしょ? だからね、たぶんもう来てるんだ。


 この頃には既に舞台奥の引き戸から射していた太陽光は消え、外は暗くなっている。


【フミヤ】 ……なあ、よせよ。ユウタ。もうよしてくれよ。わかってるんだ。はったりなんだろ。おまえは昔から冗談が好きだったからな。俺をびっくりさせたいのはわかるが、これはやり過ぎだよ。おまえの母さんにも兄さんにも失礼だ。もう十分驚かされたから、やめてくれ。これ以上は付き合っちゃいられないんだよ。

【ユウタ】 父さんはまだ準備ができてないみたいだね。

【フミヤ】 もう疲れたんだ。おまえの言ってることもよくわからないんだよ。

【ユウタ】 どうしたの。そんなにショッキングだった? でもわかるよ、父さんの気持ち。ただそれがなによりの証拠でもあるわけでさ。父さんだって、僕がさっきから言ってることが、母さんと兄さんの身に起きた事件の真相だって、心の奥底では感づいてるくせに。卑怯だよ。父さん。いつまで逃げるつもりなの?

【フミヤ】 逃げてなんかいない。それはおまえの方じゃないか、なあ? ありもしないことをそれっぽく語り聞かせて、自分に残された唯一の家族を苦しめるなんて、さぞ楽しいんだろうな? それで俺に復讐でもしてるつもりなのか?

【ユウタ】 いや、復讐なんて、滅相もない。でもきっとこれが正しいことなんだ。

【フミヤ】 おまえの自己満足ってだけじゃないのか。

【ユウタ】 やっぱり父さんてのは典型的なわからず屋だ。どうせこうなるだろうとは予想してたんだ。でも僕は話す。だってそれが僕の務めだから。ああ。今になって、ようやく思い出してきた。そうだ。そうだよ。今ここで起きていることって、あのとき兄さんが僕にぜんぶ話して聞かせてくれたとおりのことなんだ……僕は怖いよ。背中がぞくぞくする。だってあの腕が、あの、母さんと兄さんを殺したあの腕が、今、僕のからだのすぐ近くにまで来ていて、その存在を僕がこれまでに体験したことのないほど実感していて、確信しているから──それはこの目には見えないけど、見えるみたいなんだ。見えないことで、見えるみたいなんだ。

【フミヤ】 もうよしてくれよ。こんな茶番、もう飽き飽きだ。ユウタ、おまえは熱を出して興奮してるだけなんだよ。そう、熱だ。熱なんだ。だから余計な詮索ばかりして、馬鹿でも思いつかないようなことを口走っちまうんだ。

【ユウタ】 でも、父さん、これを言ったら怒るかな? だって、僕は兄さんを見殺しにしたのかもしれないんだよ? それでも父さんは、僕を許せるの?

【フミヤ】 あ? どういうことだよ、おまえ……


 ユウタ、ただニコッと頬を緩めて答えないでいる。


【フミヤ】 おい。どういうことだって聞いてんだよ!

【ユウタ】 じゃ言うけど、兄さんを死に至らしめたあのナイフを選んだのは、僕なの。僕が兄さんの息の根を止める道具を選んだってわけ。

【フミヤ】 ……おまえそれは、リョウヤがそれで首を刺すと知っててなのか? 知ってておまえは、誰にも言わないでリョウヤが自殺するのを待ってたのか?

【ユウタ】 どっちだと思う? どっちの方が耐えられる? それともこう聞いた方がいいかな?──どっちの方が、父さんはお好き?

【フミヤ】 もう沢山だ! この野郎。舐めた口利きやがって。こうなりゃ俺だってな、リョウヤのためだ。場合によっちゃおまえを警察に突き出してやる。おまえがそんなに真実を暴きたがるんなら、こっちだって受けて立とうじゃねえか。

【ユウタ】 でも父さんだって母さんを見殺しにしたでしょ?

【フミヤ】 いい加減にしろよ! そっちが見殺しにしたんだろ! リョウヤが自害するのを知ってて傍観したってんなら、それは立派な人殺しだよ!

【ユウタ】 ……父さんだってまだ心の底から物を言うことができたんだね。おかげでどれだけ父さんが兄さんを愛してたかわかったよ。でも兄さんと同じくらいに、父さんが母さんを愛して、気にかけてくれていればなあ。そうすればみんな、きっと違ったふうになれたのに。父さん、今僕が人殺しだって言ったよね。そう呼びたかったら、僕は全然いいよ。人殺しで構わない。でも父さんだって同罪だからね。この点は忘れちゃいけないよ。僕らはみんな同じ血で染まってるんだ。

【フミヤ】 いや、違う。俺とおまえを一緒にすんな。まったく違う。この際だから言ってやるけど、おまえは俺の失敗作だよ。リョウヤはよく出来たやつだったさ。でもおまえときたら──おまえは出来の悪い息子だよ。俺以上に駄目なやつだ。もう大人なはずなのに、なにひとつ身についちゃいねえ。まともな人間だったら、中学を卒業した頃にゃ今のおまえよりずっと多くの社会性を身につけてるもんだ。一応大学に入ったはいいけど、ろくに学びもしないで、毎日ちんたら過ごしやがって。だったらアルバイトのひとつやふたつでもやりゃいいのに、おまえはそれすらしようとしない。俺はおまえをペットにするために産んだわけじゃないってのにな! どんなに平和ぼけしてるほかの若い連中だって、ただ自分勝手なことを抜かしてるだけのおまえよりは遥かに頑張ってるだろうよ……ふん、なにが手紙だ。なにが血の運命だ。俺がそんなもんで腰を抜かすとでも思ったか。こん畜生。馬鹿にしやがって……いいよ。読んでやるよ。そしたらどっかに飾ろうか? 額縁にでも入れて。なあ……


 フミヤ、上手の扉より退場。


【ユウタ】(廊下に届くように、大声で)そうだね。父さんの言うとおりだ。だから僕らは一緒にはなれなかったんだ。父さん、僕は父さんがそのことを面と向かって認めてくれて、嬉しく思ってる。僕は父さんの失敗作で、僕らはうまくいきっこなかったんだってことをさ。でもこれは僕と父さんだけの問題じゃなくて。これはなによりも、父さんと母さんの問題だったんだよ。僕らは家族としてたぶん最初から終わってた。父さんが、お腹に兄さんを抱えていたまだ若い母さんと結婚したそのときからさ。でも僕は父さんと母さんのどっちが悪かったとか、どっちに非があったとか、そんなことを言いたいわけじゃなくって。たぶんどっちも悪くて、それでいて全然どっちも悪くなんかなかった。父さんの言う、環境のせいってやつで……でもいくら環境だ環境だって言っても、罪ってのは消えちゃくれなくてさ。ただ母さんは死んで、父さんは生き残った。そして罪ってのは、生き残った方についていくもんなんだ。僕は父さんに、どうかこの点だけ理解しといてほしい。というより、僕が今日、兄さんから手紙が来るなんてことを言ったのも、みんなこのためだったんだって、今ならわかるでしょ? つまりそれが兄さんの狙いだったわけで。どう。手紙は見つかった? もう読んだ? ねえ、父さん。返事してよ。まさか読めないの? 読むのが怖い? まあでも無理もないか。なんせそこには父さんが過去に葬ったはずの罪が、父さん自身これでもかってぐらいきちんと記されているに違いないんだから。そう、今となっちゃ目も当てられないような、僕ら家族の実際のところがさ。ねえ父さん、僕の言ってることわかるでしょ? 認める気になった? それとも、まだ駄目かなあ。ああ。やっぱりぜんぶ兄さんの計らいどおりでね。ほんと凄いよ、兄さんは。なにもかもがこれでまとまる。僕ら全員の命が、ようやく、ね? 僕のだって、一緒にさ。


 フミヤ、開封済みの手紙を片手に、深刻な面持ちで俯きながら、上手の扉より登場、数歩進んで、立ち止まる。


【ユウタ】 どう? 感動的でしょ? ヤバくない? 僕あとちょっとで泣いちゃいそう。それで、これでおしまい。僕の役目は。兄さんの話じゃ、僕の命は今日までってことで。でもこれってね、そもそも母さんが死んだときに決められたみたいなの。母さんは兄さんと僕の命を救うことで、実はその命に限りを設けてたんだよ。兄さんはただ、そいつを僕にちゃんと教えてくれたってだけで──ああ、思い出すよ。僕はまさに今日、兄さんから手紙を受け取って、父さんに本当のことを話すそれだけのために生かされてきたんだ。見て。震えてきた……ね? これで父さんもわかったでしょ。みんな繋がってるんだ。母さんが死んだあの日から、これまでに起きたことのぜんぶは、僕らの知らない場所で前もって準備されてきたってわけ。それがね、父さん、もうすぐ完成を迎えるんだよ。空いてた穴がようやく塞がるってこと。でも、父さんはどうなるんだろうね。やっぱり全然知らない振りをし続けて、残ってひとりずっと苦しむのかな? でも大丈夫だと思うよ。父さんにもきっと最後はからだが教えてくれるから。なんたってからだは正直で、罪深いから……どうしたの、父さん? そんなにびくびくしてさ。皮肉なもんだね。これから発作を起こすのは、僕の方だってのに! ねえ父さん、僕が最後に癲癇の発作を起こしたの、いつだったか覚えてる? 実はそれ、ちょうど母さんが亡くなる前だったの。それからぱたりと止んじゃった。どんなに小さいのを含めたって、一度たりとも起きちゃいない。でもわかる? もうすぐあの腕が僕の首を絞めにやって来るの。僕は窒息して死ぬ。泡も吹くかも。だって僕は知ってるから──知ってるんだよ。ぜんぶ兄さんが教えてくれたから。父さん、僕、さっき恐ろしいって言ったでしょ。痙攣が死ぬほど怖いって。でも本当は嬉しくもあって。だってこれで僕も兄さんのもとに行けるんだもの。兄さんと、母さんのもとにさ。


 ユウタ、急になにかを察知したかのように姿勢を正す。顔はまっすぐ上方を向いている。


【ユウタ】 そろそろ来そう。父さん、ありがとう。僕は幸せだったよ。

【フミヤ】 おまえも狂ったか!

【ユウタ】 おまえもって、「も」って誰のこと? 兄さん? それとも母さん?

【フミヤ】 うるせえ黙れ! だまって静かにしてろ! 


 ユウタ、体全体が激しい痙攣に襲われる。


【フミヤ】 馬鹿野郎! 此畜生めが!


 フミヤ、ユウタの痙攣を抑えにかかる。


【フミヤ】 おい、止まれってんだ! この似非癲癇持ち! 似非精神病患者め! 黙って聞いてりゃ、あることないこと、口から出任せに好き放題言いやがって……畜生この野郎、泡を吹くんじゃない。こいつめ。止まりやがれ!


 フミヤ、手もとにあるクッションで痙攣しているユウタの顔を覆い、押さえつける。


【フミヤ】 なにが罪業だ。なにが発作だ。こっちは下手な猿芝居だってのはわかってんだよ。勝手に被害者面しやがって。俺を困らせようって魂胆なんだろ。誰が引っかかるもんか。ふざけやがって。良識のあるやつなら、おまえの言葉なんかひとつも真に受けやしねえ──畜生、さっさと止まりやがれ。さっさと止まりやがれ!──母さんに対する罪なんざねえんだ。リョウヤにだって、俺がなにをしたってんだ……おまえたちに与えられるものはなんでも与えてきたってのによ……甘ったれやがって。ただの身勝手だ、わがままなんだよ! 俺を責める権利なんて、だからてめえにはねえんだ! たわけが。誰にあるもんか。どれもこれも、俺にはどうしようもなかったんだ。それでもわめきたけりゃ、勝手にわめけ。どこでも好きなところで、好きなだけほざいてろ……! でも俺の家で、俺の前でだけは許さない。それだけは、それだけは駄目だ。見過ごしちゃおけない。恥を知れ。おまえが誰だろうと知ったこっちゃない……息子だろうがなんだろうが、俺を貶める輩は許せない。黙らせてやる……黙らせてやる!…………


 フミヤ、息を荒げながら、力尽きてそのまま倒れるようにユウタの隣にどっと座り込む。ユウタは顔にクッションが被さったまま、動かない。フミヤがユウタを眺める間、その荒々しい息遣いは段々と落ち着いてゆき、弱まってゆく。しかし呼吸が完全に整うことはなく、その様子はさながら今にもその場に到来せんとしている重苦しいしじまを、いつまでも遠ざけんとしているかのようである。



──幕──

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